広瀬川は仙台市民にとってかけがえのない大切な川である。
流域には樹木が豊かに生い茂り、数多くの野鳥が舞い、秋になれば河原にたくさんの市民が集まって芋煮の鍋を囲む。
清流にしか棲まないという川魚の女王・アユが泳ぎ、カジカガエルの美しい鳴き声がこだまする広瀬川は、100万市民が暮らす大都市・仙台の自然環境に対する強い思いのシンボルでもある。
広瀬川がつくりだす都市景観
広瀬川の源流は、仙台と山形の境界にそびえる奥羽山脈の関山峠付近にある。仙台市域をほぼ南東方向に流れ、名取川に合流して仙台湾に至る1級河川で、主流の長さは約45km。全流路が仙台市域内で完結する都市内河川である。
広瀬川は、上流部ではブナ林を中心とする山間地を流れているが、やがて中流部になると住宅地や市街地を縫うように流れる。そして、下流部では広大な田畑を潤す。わが国の多くの都市が下流域や河口付近に発達しているが、仙台は中流域に発達した都市なのだ。
このため、数m~10数m切り込んだ谷の中に、狭い扇状地的部分を作りながら市街地の中を広瀬川が流れるという仙台独特の景観をつくりだしており、発達した瀬や淵、自然崖とそれによって育まれる豊かな生態系を都市の中で間近に見ることができる希少な河川なのである。
広瀬川に守られた動物生態系
仙台市街地を見下ろす丘陵地・青葉山にもクマが出没する。青葉山には東北大学、宮城教育大学などのほか住宅や市民の憩いの場である公園などがあり、ひとしきり話題になる。そもそもクマは森林性の動物であるが、餌を求めて森林をたどるように歩みを進めるうちに、市街地の目前までたどり着いたのであろう。
クマの出現は、奥羽山脈から蕃山、太白山、八木山の渓谷を通って青葉山まで途切れることなく連続する森林の豊かさを意味しており、仙台はそれだけ自然が豊かであることを証明している。
青葉山には、テン、イタチ、ムササビ、リスなど東北地方の一般的な森林性哺乳類の多くが生息しているが、足下を流れる広瀬川のすぐ南側には市街地が広がっている。これほど豊かな自然が大都市と隣り合わせに存在することができている理由は、境界となる広瀬川の存在が大きい。
広瀬川の上流部・中流部は切り立った渓谷で、両岸の多くの部分が森林に覆われ、動物たちにとって格好のすみかになっており、河原を歩くサルやカモシカが目撃されることもあるという。人を寄せ付けない川の両岸は、動物が安全に移動できるハイウェイの役割も果たしている。
また、広瀬川下流域にも様々な生物が生息している。主な魚類は、アユ、ウグイ、ヌマチチブ、ウキゴリ、シマヨシノボリなど。名取川と合流したあとの河口域では、マハゼ、マルタ、シラウオ、ヌマガレイ、イシガレイ、ボラなどが見られる。また、シロサケ、サクラマスの遡上も確認されている。
貝類では、ヤマトシジミ、イソシジミ、アサリ、ソトオリガイなど。さらに、チゴガニ、コメツキガニなど小さなカニもたくさん生息している。
広瀬川に託した伊達政宗の願い
約400年前、伊達政宗が仙台に城を築こうと決めたとき、平和な時代を実現させた古代中国の漢と唐を手本にしたという。
このふたつの国の首都・長安(現在は西安)を最初に作った漢の文帝は、黄河の支流に住む河上公という仙人に国を治めるための教えを受け、都が完成すると西の一角に仙人たちが集う“仙遊館・仙台”を設けて、永遠の繁栄を見守ってもらったと伝えられている。
この伝説をもとに唐の詩人が“仙台初めてみる五城楼”と詠み、これを知った政宗は、同様な願いをこめて、それまでの地名の“千代”を、現在の“仙台”に代えたといわれる。
仙人が棲んだ河と長安の西に位置する中国の仙台。豊かな流れの広瀬川と西部に城を構えた仙台。このふたつの都が持つ共通性は、仙人に守られたかのように、地域と人が安らかで楽しい世界を常に確保することだったのである。
当時、広瀬川は仙台川または大川と呼ばれていたが、城と城下町を結ぶ仙台橋(現在の大橋)の欄干に、漢・唐と同様に理想国家とされてきた尭の時代にわが仙台も肩を並べようという強い決意を記した擬宝珠を掲げ、それを広瀬川に託したという。
この広瀬川の流れが北西から城下に入り込む最初の場所に仙台を鎮守する大崎八幡宮が創建されたことも、かけがえのない清流を神とともに守ろうとする意図をはっきり伝えている。
さらに、70年の生涯を送った伊達政宗が指定した永眠の場・瑞鳳殿もまた、城下の南、広瀬川を見下ろす経ケ峰にある。このように広瀬川は、仙台の安らぎと繁栄を象徴する川なのである。
【出典】
仙台市ホームページ
http://www.city.sendai.jp/index.html
広瀬川ホームページ
https://www.hirosegawa-net.com/