仙台ゆかりの地(伊達家・仙台藩)

仙台ゆかりの地(伊達家・仙台藩)

仙台の歴史は、いまから四百余年前、仙台藩祖伊達政宗が仙台を居城と定め、それまでの地名「千代」を「仙臺(仙台)」に改め、仙台城の普請及び新城下の屋敷割りを始めたときに溯ります。ここでは、政宗を中心に、伊達家や仙台藩にゆかりのある全国各地のまちをご紹介します。

目次をクリックすると、伊達家・仙台藩とのゆかりの内容や各自治体の特色を紹介するページへジャンプします。

目次

【仙台ゆかりの地】北海道登別市

仙台との縁

白石城主・片倉小十郎邦憲が、明治維新に際し開拓したまちです。白石市とは姉妹都市提携をしており、相互交流を進めています。

まちの特色

支笏洞爺国立公園の中核に位置し、登別温泉を抱える北海道有数の観光が盛んなまちです。北欧のお城のような水族館を中心とした登別マリンパークニクスや、クマ牧場もあります。登別伊達時代村では、江戸時代の情緒を覗い知ることもできます。

伊達の歴史スポット

登別市郷土資料館

白石城を模して建てられ、開拓の祖・片倉家(旧仙台藩白石城主)の歴史や登別が生んだアイヌ言語学者・知里真志保博士について学ぶことができます。隣接する文化伝承館では体験学習もできます。

【仙台ゆかりの地】北海道伊達市

仙台との縁

伊達政宗のいとこで重臣でもあった伊達成実が藩祖となった亘理伊達家が、明治維新に際し家臣たちとともに集団で移住し開拓したまちです。これが縁となり、亘理町、山元町、柴田町、福島県新地町とそれぞれ姉妹都市提携しました。

まちの特色

寒冷な北海道にあって、噴火湾や洞爺湖といった豊かな自然に恵まれた比較的温暖なまちです。キンキ飯寿司、ホタテなどの海の幸も名産です。牧場では、乳搾り、アイスクリームやバター作りなども体験できます。毎年8月には「伊達武者まつり」が開かれ、開拓の歴史を物語ります。

伊達の歴史スポット

伊達開拓記念館

だて歴史の杜公園の中にあり、伊達家18代当主伊達廉夫氏が開祖邦成公ゆかりの家、屋敷、史料、美術品の数々を市に寄贈したことにより、昭和33年開拓記念館として開館しました。ひな人形のコレクションや、オルゴールなど貴重な品々の所蔵のほか、広い庭園には、約70種の樹木があり、四季折々の趣は観光のみならず市民の憩いの場としても利用されています。

大雄寺

伊達家の菩提寺。移住に際して亘理城下にあった大雄寺の末寺として開かれました。

【仙台ゆかりの地】北海道当別町

仙台との縁

岩出山藩主・伊達邦直が、明治維新に際し開拓したまちです。伊達邸別館や伊達記念館など、開拓の歴史が今に伝えられています。

まちの特色

道都札幌と接したまちで、切花の生産は道内でも屈指の生産高を誇ります。当別町と月形町にまたがる道民の森では、大自然を満喫しながらキャンプ、サイクリングなどさまざまなレクリエーションが楽しめます。2月にはスノーキャンドルやしゃんしゃん馬そりなど、冬を楽しめる「あそ雪の広場」が、6月にはスウェーデンの「夏至祭」が開催されるなど、イベントも盛りだくさんです。

伊達の歴史スポット

伊達記念館・伊達邸別館

伊達記念館では、伊達家主従ゆかりの品々が展示され、開拓の歴史を伝えています。隣接する伊達邸別館は、名士来村の際の宿泊や諸会議のために建てられたものです。

開拓記念樹

当別開拓の祖、仙台支藩岩出山藩の踏査隊が樹下に露営したといわれるイチイの木(推定樹齢350年)で、北海道記念保護樹木に指定されています。

【仙台ゆかりの地】北海道白老町

仙台との縁

仙台藩が白老の地に陣屋を築いた安政3年(1856年)が町の起源となっています。仙台市の国内歴史姉妹都市でもあります。 江戸幕府は鎖国政策を解いて、アメリカ・ロシアなど列強諸国との間に和親(通好)条約を結びました。しかし、北辺の緊張は依然として続き、ロシアの南下政策を警戒した幕府では、北海道・東北の7藩に命じて蝦夷地を分割警備させ、諸藩は24カ所の陣屋を築き沿岸の防備にあたりました。仙台藩の警備の中心地となったのが、ここ白老の元陣屋です。

まちの特色

北海道南西部の中央に位置する白老町は、豊かな自然と比較的温和な気候に恵まれ、製紙などの企業進出もあって、「北海道にある、元気まち」として発展しています。また、ポロトコタンでは、アイヌ文化伝承の里として、美しい自然風景とともにアイヌ民族の歴史と文化に触れることができます。 毛がに、たらこなどの豊富な海の幸や、白老牛などの畜産品が特産で、豊かな味に舌鼓を打つこともできます。

伊達の歴史スポット

仙台藩白老元陣屋資料館

元陣屋跡には、仙台藩による蝦夷地警備をテーマとした資料館があります。当時の元陣屋を再現したジオラマや絵図、蝦夷地の地図、武具などが展示され、さらにハイビジョン映像で往時の様子を学ぶことができます。

【仙台ゆかりの地】岩手県水沢市

仙台との縁

水沢留守氏(水沢伊達家)の初代当主留守宗利(伊達宗利)の父・政景は仙台藩祖伊達政宗の叔父にあたり、伊達家の重臣でした。また、春の「日高火防祭」は、3代城主留守宗景が若年期に江戸大火を目撃したことが起源になるという説もあります。雅な春の祭りは、岩手県の無形民俗文化財に指定されています。

まちの特色

水沢市は岩手県南内陸部のほぼ中央に位置し、北上川が市の中央部を南北に縦断して流れ、豊かな自然に恵まれています。商業や古い歴史を持つ鋳物工業が盛んで、良質米の産地でもあります。縄文時代から続く豊かな歴史と文化があり、また、内外で活躍した、高野長英、後藤新平、斎藤實等多くの先人を輩出しています。 水沢競馬には長い歴史があり、古来、水沢を含む一帯は、献上用、軍用などとして馬の飼育が盛んでした。藩政時代には神社への奉納競馬が行われていました。

伊達の歴史スポット

日高神社

初代水沢留守氏・留守宗利の像があります。本殿は室町時代の手法がうかがわれ、国重要文化財に指定されています。

水沢市役所

留守家居城跡。現在は大きな姥杉がその面影を残しています。

水沢市武家住宅資料館

市街中心部には江戸時代を偲ばれる武家屋敷が点在しています。なかでも旧内田家旧宅に併設している資料館では当時の町割りを現在と比較して見ることができます。

後藤寿庵館跡

政宗はメキシコやイスパニアとの通商を試みて遣欧使節団を派遣しました。後に遣欧使節となる支倉常長が、外国事情を探るため寿庵に話を聞いています。これが縁で福原を治めることとなりましたが、寿庵は熱心なキリシタンであったため、キリシタン弾圧の高まりとともに姿を消しています。

【仙台ゆかりの地】岩手県一関市

仙台との縁

豊臣秀吉の奥羽仕置後伊達領となった一関は、伊達政宗の10男・兵部宗勝の知行地となりました。その後田村建顕(田村氏は政宗の正室愛姫の実家、建顕は政宗のひ孫にあたります)が岩沼より一関へ所替えとなり、3万石を仙台藩から分与され、内分分家大名として支藩を形成しました。

まちの特色

一関市は、栗駒国定公園栗駒山や名勝天然記念物・厳美渓などの自然に恵まれています。世界遺産暫定リストに登録された奥州藤原氏の史跡などがある平泉や陸中海岸国立公園への玄関口にあたり、古くから交通の要衝、文化・流通・産業の拠点となっています。

伊達の歴史スポット

旧沼田家武家住宅

江戸後期に一関藩の家老を務めた沼田家の住宅です。沼田家は政宗のひ孫で初代一関藩主となった田村建顕とともに一関に移ってきました。

一関市博物館

田村氏は、代々文化・学術に造詣が深い家系でした。博物館には田村氏の遺した数々の貴重な品が収められています。歴代藩主は教育にカを注ぎ、そのため、近代科学発達の先駆的役割を果たした人々が多数誕生しました。 ちなみに、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭長矩が預けられ切腹した場所は、田村建顕の江戸藩邸でした。

【仙台ゆかりの地】山形県山形市

仙台との縁

山形は、伊達政宗の生母であるお東の方(義姫)の出身地です。義姫は山形の礎を築いた最上義光の妹にあたります。隣り合う伊達家と最上家は長い間争いを繰り返していましたが、義姫の婚姻により和解が進みました。

まちの特色

山形市は、山形県の県都として経済・文化などの都市機能の集積が進む一方、東に蔵王連峰が連なり、西には朝日連峰を背景とした田園風景が広がる豊かな自然環境に囲まれています。初夏のさくらんぼ、秋には日本一の芋煮会、冬の蔵王の樹氷など四季折々の食文化・風物詩にも恵まれています。

伊達の歴史スポット

霞城公園

政宗の伯父にあたる最上義光の像があります。公園周辺には最上義光資料館、山形市郷土館などもあります。

【仙台ゆかりの地】山形県米沢市

仙台との縁

伊達氏212年、上杉氏272年と続いた城下町です。伊達政宗は米沢城で生まれ25歳までの多感な青年期を過ごしました。幼い頃、内気でおとなしいと言われた政宗は、この地で勇猛な名将に成長したのです。

まちの特色

米沢市は山形県の最南端に位置する自然豊かなまちで、松坂牛、神戸牛と並び賞される味を誇る米沢牛をはじめ、鯉の甘煮や米沢ラーメンなども有名です。 また、「上杉鷹山」こと上杉治憲は、第九代の米沢藩主です。上杉神社をはじめ、上杉氏にまつわる史跡や祭りなども見どころのひとつです。

伊達の歴史スポット

米沢城跡

政宗生誕の地で、標柱が立てられています。現在は松が岬公園として整備され、伊達、上杉など代々米沢を治めた武将を偲ぶ場所ともなっています。

米沢市内・舘山の並松土手は、政宗が新たに築城を志した遺跡と伝えられていますが、その完成を見ずに岩出山へ移ることになります。

遠山覚範寺跡

政宗が父・輝宗の冥福を祈って遠山に建立しました。その後、政宗が岩出山、仙台と居を移したのにあたって寺所を移し、現在は仙台市内にある北山五山のひとつとなり現在に至ります。遠山には、寺跡を示す標柱が立っています。

【仙台ゆかりの地】山形県高畠町

仙台との縁

伊達宗遠(8代)以降伊達家が支配し、7代にわたり、「高畠城」を中心に施政が行われました。晴宗(15代)から米沢城に移ってからも、のちに仙台藩祖となる政宗が天正19年、城を岩出山に移すまで、210年間、置賜を統治しました。 また、政宗が帝王学を学んだ虎哉宗乙(こさいそういつ)の寺がありました。虎哉和尚は、内気な幼少期の政宗を勇猛な名将へ成長させるために、父・輝宗が美濃(現在の岐阜県)から呼び寄せた名僧です。

まちの特色

高畠町は、扇状地に拓けたまちです。山々や丘陵には古墳や洞窟岩陰群があり、ラ・フランス、りんご、さくらんぼなど、果物の名産地です。高畠で採れた葡萄でつくるワインを楽しめるワイナリーもあります。

伊達の歴史スポット

高畠城址

現在は高畠小学校になっています。付近には堀跡などものこっていて、街道などは、当時とほとんど変わらない位置を通っています。

資福寺跡

伊達家の菩提寺。資福寺は現在では仙台市内北山に移りましたが、寺跡には伊達家の墓が残っています。政宗の父輝宗は、虎哉宗乙を招いて資福寺の住職とし、政宗の師としました。虎哉和尚は美濃に生まれ、仏教の苦行を積み、儒学を学び、世の高僧をたずねては修養を重ね、名僧といわれました。政宗は6才の時からこの虎哉の教えを受け、虎哉もまた政宗を慕って、終生その側を離れませんでした。

亀岡文殊堂

資福寺にあった古鐘を、政宗が岩出山へ移る際に移設した場所です。

【仙台ゆかりの地】宮城県白石市

仙台との縁

伊達家重臣・片倉小十郎景綱は、政宗が幼い頃から守役として仕え、生涯政宗に尽しました。豊臣秀吉や徳川家康もその才能を高く評価し、景綱を大名として取り立てようとしましたが、景綱は政宗に仕えるため、断ったと言われます。政宗から白石城を与えられた景綱は、家臣でありながら大名クラスの領地(景綱は1万6千石)を持つ身分となりました。江戸時代には「一国一城令」によって統制されたため、1つの藩に2つの城を構えること(仙台城と白石城)が許される例は他になく、家康も景綱をおおいに認めていたことが伺えます。

まちの特色

白石川上流の左岸に、材木を立てかけて並べたような「材木岩」があります。国の天然記念物に指定されており、高さ65mを越えます。また、明治の文豪・徳富蘇峰が名づけた「碧玉渓」は、水と緑と岩が奏でる見事な景観美が広がります。 名産の「白石うーめん」は、茹でやすく、食べやすく、おなかにも優しい一品です。郊外には鎌先温泉などがあり、弥治郎こけしを見学できる「こけし村」もあります。

伊達の歴史スポット

武家屋敷・片倉家御廟

片倉家の家臣である旧小関家を白石市が全面的に改修し、公開しています。片倉氏のもとでの武士の生活が垣間見られます。

白石城

伊達藩の南の守りをかためる重要な役割を果たしました。三階櫓が益岡公園内に忠実に復元されており、公園内には歴史探訪ミュージアムなどもあります。

【仙台ゆかりの地】宮城県登米市

仙台との縁

登米市は、藩政時代には伊達一門登米伊達家二万一千石の城下町、明治維新後は北上川を利用した舟運による流通拠点として繁栄し、一時期には県庁も置かれる等、当地方の政治・経済、そして文化の中心地として隆盛を極めました。

まちの特色

旧登米高等尋常小学校校舎をはじめとした歴史的建物や登米薪能など、先人の遺産が数多く残された町です。これを活かしたまちづくりによって、今では多くの観光客が訪れるようになっております。

伊達の歴史スポット

登米懐古館

懐古館は、登米伊達氏の城跡の一角にあります。登米伊達氏をはじめ、政宗ゆかりの品も展示されています。

森舞台

「藩制時代から伝わる「登米能」は、政宗も造詣の深かった金春大蔵流(後に大蔵流)能が伝わり伝承されてきたものです。他にも「岡谷地南部神楽」や「とよま囃子」等伝統芸能が盛んで、いずれも長年町民の手で大切に受け継がれています。「森舞台」はそれら地域文化の活動拠点として建設され、本格的な能舞台・稽古場・展示場を備えています。

【仙台ゆかりの地】宮城県栗原市

仙台との縁

豊臣秀吉による天下統一後、栗駒地方が伊達政宗の領地となったことからはじまり、1604年には政宗の5男宗綱が、その死後は6男宗信が岩ヶ崎城主となって治めました。

まちの特色

町のシンボル栗駒山には、ぶなの原生林や湿原、渓谷、湖沼、雪渓など豊かな自然があり、大自然を満喫できます。また、「愛藍人文字(あいらんどもんじ)」では無形文化財である正藍染を見ることができます。

伊達の歴史スポット

岩ヶ崎城址

岩ヶ崎城は、鶴丸城ともよばれていました。岩ヶ崎小学校の北側の高地が鶴丸城址で、現在は桜の名所として有名な館山公園に生まれ変わり、訪れた人々を楽しませています。30種類もの桜が次々に咲き誇り、何度もお花見をすることができます。

【仙台ゆかりの地】宮城県村田町

仙台との縁

伊達家とのかかわりは深く、中世のころ、家臣小山九郎業朝がこの地を治めたことに始まり、慶長18年(1613年)に伊達政宗の7男・宗高が村田城の主となりました。

まちの特色

美しい「蔵の街並み」で知られる村田町は、周囲を丘陵に囲まれ、平野の中央を荒川が流れる自然に恵まれたところです。藩政時代には仙台・山形間を結ぶ街道のまちとして繁栄しました。 スポーツランドSUGOでは世界のトップライダーが集まる二輪レース、国際色豊かな四輪レースなどのモータースポーツが楽しめます。また、村田のそら豆を使ったうどんや饅頭など、アイディアいっぱいのお土産も充実しています。

伊達の歴史スポット

龍島院

藩政時代の城主、伊達宗高を祀った御廟があります。京都「詩仙堂」(山の斜面や谷間など凸凹した土地に建てられている)の庭園を模した池泉鑑賞式庭園が見事です。

村田城跡

「城山公園」として整備されています。また、城の大手門は願勝寺に移築されています。

【仙台ゆかりの地】宮城県亘理町

仙台との縁

亘理伊達家の城下町。初代城主伊達成実(しげざね)は、伊達政宗の重臣で、幼少の頃より政宗に仕えました。政宗のいとこにもあたります。成実に子がなかったため、政宗の9男である宗実を養子に迎え2代城主としています。

まちの特色

亘理町は東に太平洋、西は阿武隈高地の丘陵地帯、北に阿武隈川が流れています。 春にはいちご狩りや潮干狩り、秋にははらこ飯などで新鮮な食を満喫できます。特に「仙台いちご」は有名です。遠浅の太平洋と阿武隈川に囲まれた海岸は、東北屈指のサーフスポットです。冬は暖かく夏は涼しい、気候温暖な町です。

伊達の歴史スポット

亘理伊達家御廟所(大雄寺)

成実廟をはじめ亘理伊達家13代の当主と妻の霊が納められています。内部の厨子の中には、毛虫の前立のある兜をつけた甲冑姿の寄木造り木像(約54cm)が安置されています。

【仙台ゆかりの地】宮城県大和町

仙台との縁

伊達政宗の3男宗清は、吉岡城主として黒川郡一円を納めました。また、政宗の孫に当たる宗房以来、大和町宮床は伊達家の小城下町として栄え、宗房の子吉村は仙台藩5代藩主となり、仙台藩の財政再建に力を尽くしました。

まちの特色

仙台市に隣接している大和町は、町のシンボル七つ森などの豊かな自然と肥沃な大地に恵まれています。七つ森ふれあいの里や、陶芸体験館で思い思いの体験をすることができます。農業を基幹産業とする一方で、工業団地への企業の立地が進んでいます。 宮床には歌人・原阿佐緒の生家を利用した記念館があります。

伊達の歴史スポット

天皇寺

城主・宗清と、政宗の側室・飯坂の局(猫御前)の墓があります。飯坂の局は政宗が岩出山に移る際、米沢から松森に隠棲し、後に宗清の養母となりました。

吉岡八幡神社

政宗の三男宗清が、下草から吉岡に移った際に、八幡神社も移され、元和4年(1618)に造営された神社です。社殿は拝殿と本殿を一つの建物石の間造りで、県の重要文化財に指定されていましたが、昭和63年(1987)落雷で焼失。平成元年9月14日再建されました。

【仙台ゆかりの地】宮城県岩出山町(現:大崎市)

仙台との縁

伊達政宗が仙台へ移るまでの12年間を過ごした城下町です。岩出山伊達家三代宗親、四代村泰に和歌の家である京都「冷泉家」の姫君がお輿入れになったことで、京文化がもたらされ、今なお、随所にその名残が垣間見えるみちのくの小京都です。政宗が掘削した「内川」沿いには、京都の「哲学の道」にちなんだ「学問の道」も整備され、住民や観光客の憩いの場となっています。 城山公園には「政宗平和像」があります。これは、仙台城跡にあった政宗騎馬像が第2次世界大戦中に金属供出され、台座だけが残っていたものを、戦後に平服姿の政宗像として造りなおし、昭和39年(1964)まで仙台城跡にあったものです。

まちの特色

仙台から北西へ車で1時間ほどの場所にあり、四季折々の自然景観が美しいまちです。「岩出山バルーンフェスティバル」では、全国から30機以上の熱気球が集まり、競技やイベントが開催されます。また、五感を刺激する「感覚ミュージアム」もあります。 寒冷な気候を生かして作る「凍豆腐」や「つと納豆」、京菓子の流れを汲む「酒まんぢう」、京都から伝えられた竹細工等、豊富な特産品でも知られます。

伊達の歴史スポット

政宗公まつり

毎年9月第2日曜日に開かれるまつり。昭和39年(1964)に仙台城跡から「政宗平和像」が移されたことを期に政宗の遺徳を偲ぶまつりとして始まりました。 政宗の岩出山居城時期を再現した武者行列は、ほら貝を吹き鳴らし、きらびやかに身を装った騎馬武者隊・甲冑武者隊などの行進が行われます。

有備館

二代岩出山藩主宗敏の時代に、岩出山城二の丸が火災で焼失した際に仮居館として建てたのが始まりで、その後、学問所として整備されました。

城山公園

岩出山城址は、現在、公園として整備されています。本丸の出丸跡では「政宗平和像」がまちを眺めています。

【仙台ゆかりの地】宮城県涌谷町

仙台との縁

涌谷伊達家は、伊達家一門の家柄として、知行22,640石を領していました。なかでも4代伊達安芸宗重は、仙台藩第4代の後見役で悪政をしいた伊達兵部を命を賭して諌め、仙台藩を救いました。これは「寛文事件」として世に知られ、歌舞伎の人気演目「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の元にもなっています。

まちの特色

天平21(749)年、奈良東大寺の大仏建立の際、大仏様に鍍金する砂金を献上した「日本初の産金の地」です。文化観光施設「天平ろまん館」で万葉と産金の歴史を感じることができます。春は「桜まつり」、秋は民謡「秋の山唄全国大会」でにぎわいます。

伊達の歴史スポット

涌谷城跡

涌谷城跡は町立史料館となっており、涌谷伊達氏関係の文化財を中心に町内の歴史・民俗資料などが多数展示されています。復元された隅櫓の周囲に咲く桜も見事です。

【仙台ゆかりの地】福島県会津若松市

仙台との縁

天正17年(1589)、伊達政宗は会津領主葦名氏を倒し、南奥州の覇者として会津に入城しましたが、豊臣秀吉の奥羽仕置によって、会津領主は伊勢松坂の城主である蒲生氏郷に代わりました。

まちの特色

会津地方の中心的な城下町として発展を遂げてきた本市は、鶴ヶ城や白虎隊、明治・大正期の建物や蔵など、街のあちこちに名所旧跡がある歴史と伝統の香りがするまちです。毎年9月には、「会津白虎行列」で歴史絵巻が繰り広げられ、多くの観光客でにぎわっています。

伊達の歴史スポット

史跡若松城(鶴ヶ城)跡

戦国の雄・葦名氏によって築城されました。家督相続して5年足らずの若い政宗が、葦名氏を破り当時黒川城と呼ばれていた若松城に入城しました。政宗の後に城主となった蒲生氏郷によって黒川城は鶴ヶ城と改名されました。

【仙台ゆかりの地】福島県桑折町

仙台との縁

奥州合戦(鎌倉時代初期)の功により、常陸入道念西朝宗が伊達郡に入部して「伊達」氏を名乗りました。戦国の雄14代稙宗は西山城を建造し本拠地としました。

まちの特色

福島県の県北地方に位置し、屈指の果樹地帯です。特に桃の生産は盛んで、主力品種「あかつき」は平成6年から毎年皇室に献上されています。 旧伊達郡役所は、郡役所の遺例のうちでは最大級の規模を持つ東北地方にのこる優品の一つで、比較的質もよい擬洋風建築であり、国の重要文化財に指定されています。

伊達の歴史スポット

西山城跡

文治5年(1189)、源頼朝の奥州合戦に従軍し、軍功をたてた伊達家の始祖朝宗が築いたという伝承をもつ山城。天文元年(1532)ごろ、14代稙宗が築いて梁川から入り、同17年(1548)その子晴宗(政宗の祖父)が米沢に移るまで伊達家の居城でした。現在も石塁、空掘、枡形状虎口など、戦国時代の遺構を数多く残しています。

桑折寺山門跡

晴宗が桑折を米沢へ移る際に、西山城にあった門を移設したと言われています。

【仙台ゆかりの地】福島県梁川町(現:伊達市)

仙台との縁

鎌倉時代の奥羽合戦以来、豊臣秀吉の奥州仕置まで伊達家によって治められてきました。11代伊達持宗の頃から14代稙宗の時代は、梁川城を本拠としていました。

まちの特色

福島県の北部に位置し、阿武隈川・広瀬川が町を流れます。また、あんぽ柿は、透きとおるようなアメ色が美しい特産品です。

伊達の歴史スポット

梁川城址

伊達稙宗が陸奥国守護として居城としました。中世の庭園が本丸跡に残っているのは、全国的にも珍しいといわれています。

梁川八幡神社

伊達家の氏神として、鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を迎えています。天正10年(1582)、若き日の仙台藩祖政宗も、仙南方面の戦陣に際して戦勝祈願に訪れました。

粟野大館

3代義広の居城とされています。

【仙台ゆかりの地】福島県保原町(現:伊達市)

仙台との縁

伊達氏の始祖・常陸入道念西朝宗が奥羽合戦の軍功により源頼朝から伊達郡・信夫郡を賜わり、地頭に任ぜられたことにより、伊達姓に改めました。これが伊達家の始まりとされます。朝宗は、伊達平野が一望できる高子ヵ岡に築城し、居城としました。

まちの特色

福島県の北部に位置し、桃を中心とした果樹栽培が盛んです。また、従来からの地場産品であるニット産業に加え、誘致企業を中心とした電子機器関連工業が定着し、町の基幹産業として成長しています。 毎年3月第1日曜日には約300年の伝統をもつ「つつこ引き」が行われます。

伊達の歴史スポット

高子ヵ岡舘跡

伊達家の始祖朝宗は、源頼朝の奥州征伐で戦功をあげ伊達郡を賜り、当地に城を営んで移住しました(後に桑折町西山城へ移ります)。以来、伊達家は14代にわたってこの地方を治めました。

【仙台ゆかりの地】福島県三春町

仙台との縁

三春城を本拠とした田村家は、伊達家と結ぶため娘・愛(めご)姫を政宗に嫁がせましたが、豊臣秀吉の奥羽仕置により改易となりました。しかし、後に愛姫の孫が田村姓を名乗り、曾孫が一関藩主になりました。

まちの特色

梅・桃・桜の花が一斉に咲き競う「三つの春」から名づけられたという三春町は、国の天然記念物で樹齢1000年を数えるベニシダレザクラの巨木「滝桜」や三春ダム「さくら湖」、神社・仏閣などを多くの観光客が訪れます。また2004年には、三春城築城500年を迎えました。 仙台の木下駒・青森の八幡馬とならんで日本三大駒とされる三春駒、土人形の三春張子人形は郷土民芸として有名です。仙台に伝わる木下駒や堤人形と似ているのもなにかの縁でしょうか。

伊達の歴史スポット

三春城跡

田村氏によって築かれ、のちに明治維新までこの一帯を治めた秋田氏が居城としました。現在は城山公園として整備されています。

【仙台ゆかりの地】茨城県龍ヶ崎市

仙台との縁

慶長11年(1606年)、龍ケ崎村は仙台藩主の伊達政宗の支配下となりました。陣屋(現在でいう役所)が置かれ、常陸国における仙台領支配の中心地として繁栄し、現在の龍ケ崎市の礎が形成されました。

まちの特色

龍ケ崎市は、東京都心より約50kmに位置する茨城県南地域の中核都市です。 首都圏のベッドタウンとして発展し現代的な街並みが形成される一方で、「撞舞」など貴重な伝統・文化も数多く残されています。また、牛久沼沿いは、知る人ぞ知る「うな丼」発祥の地でもあります。 最近では、総合病院の誘致や総合体育館「たつのこアリーナ」の建設に代表される都市基盤整備を進めるとともに、市内を循環するコミュニティバスの運行、流通経済大学との連携、コロッケによるまちおこしなど地域に根差したまち育てを進めています。

伊達の歴史スポット

龍ケ崎市歴史民俗資料館

仙台藩の飛び地となったこの領地は、江戸からほど近く、江戸仙台藩への米等の供給拠点として、交通が整備されました。当時の様子を伺うことのできる資料が展示されています。

【仙台ゆかりの地】茨城県筑西市

仙台との縁

伊達氏の祖は、現在の筑西市中舘に居を構えていた「伊佐氏」から興っています。伊達家では、明治期になるまで祖先の由緒の地として中館観音寺に寄進を続けていました。

まちの特色

筑西市は、茨城県の西部に位置し、東京から70km圏にあります。 筑波山のふもとに広がる自然豊かな田園都市であり、穏やかな気候、澄んだ空気、4本の一級河川などの自然の恵みと肥沃な大地が育んだおいしい米「コシヒカリ」は、自慢の一つです。 また、下館地域では、日本一の大神輿を先頭に、女神輿や30数基の子ども神輿が連なって中心市街地を練り歩く「祇園まつり」、関城地域では、現役力士を招いて特産品“なし”の豊作を祈念する「どすこいペア」、明野地域では、2.8ヘクタールの敷地に80万本の八重ひまわりと世界各国33種類のひまわりが咲き誇る「ひまわりフェスティバル」、協和地域では、武者行列や郷土芸能発表会が行われる「小栗判官まつり」など、毎年、県内外から多くの観光客で賑わいます。

伊達の歴史スポット

伊佐城址と中館観音寺

朝宗によって建てられた城。「伊佐城跡」の石碑の近くに中館観音寺があります。

【仙台ゆかりの地】栃木県真岡市

仙台との縁

常陸国伊佐荘(茨城県筑西市)とともに、伊達姓を名乗る前の常陸入道念西朝宗の領地といわれています。

まちの特色

真岡市は、栃木県の南東部にある自然環境豊かな都市で、東京から100km圏内にあります。江戸時代には「真岡木綿」の特産地として栄えました。 真岡木綿の機織が体験できる真岡木綿工房があり、また、真岡鐵道「SL列車」に乗ったり「SL館」を見学したりできます。

伊達の歴史スポット

中村八幡宮例祭

毎年9月15日に神事、次の日曜日に流鏑馬が開催されます。伊達家ゆかりの社で歴史装束に身をまとい、250mの参道を駆け抜ける馬上から見事に矢を放つ勇壮な「流鏑馬」は、古式豊かな伝統行事です。また、大きな神輿が参道を練り歩き、午後からは太々神楽も行われます。元文元年(1736年)仙台藩5代藩主伊達吉村が、神馬を奉納したものを記念して始まったと言われています。中村八幡宮本殿は、室町時代に伊達氏11代持宗によって建立された貴重な建物です。

中村城跡

現在は遍照寺の境内で、寺の入口には城址碑が建っています。 中村城を築いたのは、のちに伊達始祖となる常陸入道念西朝宗です。朝宗は、奥羽合戦の戦功で伊達郡へ移りました。

【仙台ゆかりの地】新潟県上越市

仙台との縁

伊達政宗の長女・五郎八(いろは)姫が嫁いだ先が徳川家康の6男・松平忠輝です。高田城を築城した際、政宗が普請総裁を勤めました。

まちの特色

上越市は奈良時代に越後国府が置かれて以来、政治・文化・経済の中心として、また古くから直江津港を利用して栄えてきました。そして、戦国の武将・上杉謙信の居城跡(春日山城跡)があることも知られています。江戸時代に高田城が築城され、現在のまちなみの基礎が築かれました。 また、米どころとしても、味噌や地酒の産地としても有名です。

伊達の歴史スポット

高田城跡

政宗が、娘の夫で家康の息子でもある松平忠輝の居城とすべく高田城築城の総指揮をとりました。現在公園として整備されている高田城は三重櫓が復元され、春には桜、夏には蓮など花の名所として知られます。

【仙台ゆかりの地】長野県千曲市

仙台との縁

千曲市は、伊予宇和島藩2代藩主伊達宗利の娘・豊姫が嫁いだ第3代松代藩主真田幸道の地です。このとき豊姫が杏の種を持参したことが始まりで、現在では「あんずの里」として有名になりました。この縁で宇和島市(仙台市の歴史姉妹都市)と姉妹都市提携をしています。

まちの特色

信州(長野)の善光寺平南端に位置し、ひと目10万本の「日本一のあんずの里」の名を持つ「花と文化と歴史のまち」として有名です。あんず狩りなども楽しめ、千曲で採れたあんずで作ったジャムやあんず酢は、健康にもよい食品として注目をあつめています。棚田に移る月が美しいおばすては国の名勝に指定されており、千曲川の流れもすばらしい眺めです。

伊達の歴史スポット

あんず

豊姫が持ち込んだことから、今では「あんずの里」となってさまざまな祭りも開かれています。真田氏といえば、関が原の戦いなどで信之・幸村の兄弟のエピソードなどが有名ですが、兄・信之の孫である幸道と伊達家にも縁があるのですね。

【仙台ゆかりの地】愛媛県宇和島市

仙台との縁

仙台藩祖伊達政宗の長庶子・秀宗が慶長19年(1614年)に宇和島藩祖となりました。以来、両市とも城下町として繁栄してきた歴史的関係を基盤として姉妹都市提携しています。

まちの特色

宇和島市は、風光明媚なリアス式海岸や、千メートルを超える鬼ヶ城連山など豊かな自然と、黒潮の影響でメリハリある四季に恵まれた地で、四国西南部の中核都市として発展しています。夏の「うわじま牛鬼(うしおに)まつり」は血湧き肉踊る勇壮な祭りです。パレードで練り歩く大きな牛鬼は、最後には川面で練られます。 穏やかな宇和海で育まれる真珠や魚類養殖、温暖な気候で育つみかんなどが特産品です。

伊達の歴史スポット

宇和島城

別名鶴島城。築城以来約400年の歳月を経ており、全国12ヶ所の現存する天守のうちでも江戸時代の様式を留める貴重なものです。

八つ鹿踊り(やつしかおどり)

仙台には今も伝わる鹿踊り(ししおどり)がありますが、秀宗が宇和島へ移る際に持ち込んだものが現在「八つ鹿おどり」として受け継がれています。秋の宇和津彦神社の祭礼日には、牛鬼とともに見ることができます。

【仙台ゆかりの地】愛媛県吉田町(現:宇和島市)

仙台との縁

宇和島藩主伊達秀宗(伊達政宗の長子)の五男宗純は、明暦三(1657)年、七月、宇和島藩十万石のうちより三万石を分知され、吉田藩を創立、居館を吉田の地に定めました。以後陣屋町として栄え、当時の面影や史跡も残っています。

まちの特色

愛媛県の西南にあり、県都松山市から汽車で約1時間10分の距離にあります。宇和海へ続く段々畑のミカン園は、美しい海と山のコントラストをなしています。 また、南予地方の夏まつりは、吉田からはじまります。祭りの最後には、勇壮な「走り込み」があり、若者の熱気と、夜空に咲く花火が吉田をさらに熱くしていきます。

伊達の歴史スポット

大乗寺

吉田郷における第一の名刹で、伊達家の菩提所として代々の伊達藩主の墓があります。伊達騒動の当事者のひとりである伊達兵部の嫡子・宗興の正妻と3人の子供の墓もこの寺にあります。 また、地方きっての禅道場としても著名です。

【仙台ゆかりの地】福岡県柳川市

仙台との縁

筑後柳川藩立花氏10万9千石の城下町でした。仙台藩二代藩主伊達忠宗の長女鍋姫が二代藩主立花忠茂に嫁ぎ、その長男が三代藩主となりました。伊達騒動の際には、忠茂が相談役として伊達家の安泰に尽力しました。仙台市の音楽姉妹都市である竹田市とも姉妹都市になっております。

まちの特色

柳川市は、県南筑後平野の西南隅にある平坦な低地にあり、ゆるやかな傾斜が有明海に向かって広がり、干潮時には広大な干潟が現れます。城下に縦横に走る掘割を利用した「川下り」では、船頭の巧みな竿さばきや舟歌とともに、水面に影を落とす緑を楽しめます。さげもんめぐり(雛まつり)、沖端水天宮祭、おにぎえなどのまつりもあります。 また、詩人・北原白秋の生家では、白秋の遺品や原稿などを展示しています。その奥には「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」があります。

伊達の歴史スポット

御花・松濤園

7,000坪の広大な敷地には、松島を摸した庭園「松濤園」があり、国指定の名勝となっています。藩主の別邸として、元禄10年(1697)に建造されました。また、隣接する西洋館は、明治43年(1910)に完成したもので、近代のモダンな建築様式を今に伝えます。

【仙台ゆかりの地】番外編

仙台藩の上屋敷跡や伊達家とゆかりがあるお寺などを紹介します。

仙台藩芝口上屋敷跡(東京都港区東新橋)

江戸時代、全国の諸大名は江戸に藩邸を設けており、伊達政宗は江戸城に近い外桜田(千代田区日比谷公園)や愛宕下(港区新橋5・6丁目)などに仙台藩の江戸屋敷を構えていたことが、文献や絵図で知られています。その後、寛永18(1641)年には、浜(芝口)屋敷(港区東新橋)に屋敷替えが行われ、延宝4(1676)年以降は幕末まで上屋敷(大名が江戸で通常の住居とした屋敷)として機能していました。ここは東京都による7年に及ぶ調査により、伊達家屋敷跡の遺構群が御殿や庭園、舟入堀などとともに発見されました。 発見された庭園は、仙台藩の御用絵師菊田伊洲による絵図「江戸藩邸芝口上屋敷庭園図」にあるように、複数の池や遣り水、橋脚、石積みなどからなっていました。
日本テレビの協力により説明サインが次の2ヶ所に設置されています。

上屋敷跡(日本テレビ本社敷地内「ゼロスタ広場」)

屋敷の利用された時期や役割、屋敷を舞台とした歴史的エピソードなどが書かれています。

表門跡

浜屋敷の表門では、元禄15(1702)年12月15日、本所吉良邸への討ち入りから主君浅野匠頭長矩の墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士たちを仙台藩士が呼び止め、粥を振舞ったといわれています。 このときの米は糒(ほしいい、粳米を蒸して乾燥させたもの)で、軍糧として作られていたもので、仙台糒として特に製造所を定めていた藩の特産品であったようです。

伏見城上屋敷跡(京都府京都市伏見区桃山町正宗)

文献をたどると、京都・大阪にも伊達家の屋敷があったことが分かります。 豊臣秀吉の下、伏見城周辺には多くの大名屋敷が建てられ、城下町が形成されました。伊達家も城下に屋敷を構えています。 伏見屋敷跡は、「正宗」の住居表示や「伊達街道」と名づけられた道などに伊達家との縁が感じられます。政宗の伏見屋敷は、この地のほか、上屋敷の南西にほど近い場所と深草の地に下屋敷があり、計3箇所であったとされます。深草の下屋敷付近には現在も「深草東伊達町」「深草西伊達町」の地名があり、その名残を留めています。
*説明サインが次の場所に設置されています。

海寶寺(かいほうじ)

政宗の伏見屋敷の跡地とされる場所に建つ寺で、京都教育大学の南側から桃山高校の東側へ通じる伊達街道沿いにあります。政宗ゆかりの「木斛(もっこく)」が育っています。 政宗は文禄4年(1595年)、豊臣秀吉からこの伏見に屋敷地を与えられ、多くの重臣やその妻子などを住まわせました。敷地には常に千人以上が住んでおり、屋敷一帯は「伊達町」とも称されたといわれます。政宗自身は慶長4年(1599)ころまでここに住み、慶長6年に上洛した際にも約1年間を過ごしています。
≪アクセス≫ 京阪本線・近鉄京都線 丹波橋駅から徒歩10分、 JR奈良線 藤森駅から徒歩20分

大悲願寺(東京都あきる野市)

約400年前、仙台藩主伊達政宗が秋川に鮎漁に来た帰り、大悲願寺に在山していた末弟、伊達秀雄(しゅうゆう)を訪れ、境内の白萩を愛でました。その後、仙台に帰った政宗は、どうしても白萩が一株欲しくなり飛脚を立てて株分けを所望しました。その時の書状を「白萩所望状」といい、今も古文書として寺に残っています(東京都文化財)。
≪アクセス≫ JR五日市線武蔵増戸駅下車徒歩15分